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映画を観た記録

映画の感想を書きます

サンドラの週末(deux jours, une nuit)

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お前が死ぬか?私が死ぬか?(そういう映画ではないが…)

 

 

・サンドラがクビになると同僚には1,000ユーロのボーナスが出る
・サンドラが復職すると同僚にはボーナスなし
・週明け月曜日に投票して決める(今日は金曜日)

 サンドラは働きたいので(子供が二人いるし家賃も払えなくなる)鬱病克服直後の重たい体を引きずって、同僚を説得する旅に出る…

というような話。

 

サンドラの不幸を呼び寄せている態度を興味深く観ていた。

鬱病から復活したばかりだからしょうがないんだけど、
すぐ泣くしネガティブな考え癖がついてるし発言が暗いし姿勢が悪い。

良くないことが起こることを自分で許可してるような感じがするので、悪いものが寄ってくる雰囲気がある。
ネガティブな人を客観的に見るとこんな感じなのか…と思い知らされた。

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ドライブしてる最中に窓から顔を出しているサンドラ。なぜか次の瞬間交通事故が起こる想像が頭をよぎる(トラックが突っ込んでくるなど)。そういう磁場がサンドラにはある。

 

説得に向かった先の同僚がまずズバリと
「何人賛成してるんだ」「誰が賛成してるんだ」
って臆面もなく尋ねてくるのがわりとびっくりした。カルチャーショック。自分が純ジャパだからそう思うのだろうか。
一般日本人的対応の見本としては、
「あ、大変だったですね、もう大丈夫なんですか、あ、はい、投票ね、そうですよ、みんなでね、また一緒に働きましょうね(心とは裏腹の優しい笑み)」

こんな感じか?ていうか大体投票って事態にすらならないか?

 

この「AかBかを選択する」系の問題について討論するときに

「無知のベール」(ジョン・ロールズ提唱:自分の背景も人の背景もとっぱらって、物事それだけを見て善悪を判断するやり方)を被って考えてはいけない。なぜなら個人とは社会的属性から切り離されては存在し得ないからである

ということをハーバード大マイケル・サンデルという人が言っているそうで、確かにそんな気もする。

 

生活に困っていないから、ボーナスを得るよりも思いやりや正義感でサンドラに一票投じる人もいるだろうし、光熱費すら滞納しているから、たった一回きりの(おそらく)一ヶ月分にも満たないボーナスでも、喉から手が出るほど欲しい人もいる。

「無知のベール」を被って判断するには人間社会は個人の事情が絡まりあっている。

 

まあそんな「無知のベール」を被ったがゆえの、道徳の教科書みたいなきれいごと言ってる判断があってもいいとは思う(それすらも選択する側の事情によるんだろう)。「イデア界に存在するイデア」みたいなピュアな意見があるのもまた多様性のひとつ。

現実にはそぐわないかもしれないが…

 

私は当初
「なんで同僚をクビにしてまでたった一回のボーナスを取るのだ!?自分がクビになるわけじゃなし。。理解できん」
という強硬派だったが(今思えば半分くらい「無知のベール」を被ったような意見だな)、映画を最後まで観たあとは
「まあボーナス派の意見もわかる。人には事情ってもんがあるのだ。」
という穏健派に変化した。

おもしろかったです。

 

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小鳥になりたい、と言うサンドラ。気持ちはわかる。